「うねり取り入門」(林 輝太郎著)という本を読んでいます。
本の書評ついては別途書きたいと思っていますが、この本の中に、言われてみると当たり前だけど、ややもすると私たちが見落としがちな大事な視点についての記述がありました。
本の中の「情報の公理」という段落で書かれています。
以下、いくつか引用をさせてもらいます。
情報は受信者に不利
次は30年来の友人を失った話。
大学の同級生が定年後に株をやり、損ばかりなので相談を受けたとき、「情報に頼るな」と言い、
・情報は発信者に有利(したがって受信者に不利)
なものであるから、真実の情報を見きわめる目ができるまでは情報を聞くな、まして、株屋のいいかげんな情報なんて、と言い、ケンカになって、遂に「こんなこと常識なのにわからないとはお前は馬鹿じゃないか」と言ってしまった。
退職金を全部失う損をしたのだが、旧友たちに「林は俺を馬鹿呼ばわりした」と言い、30年の友情は壊れてしまった。「うねり取り入門」(林輝太郎著)より
次は商社で原材料を扱っている人の話。
顔写真入りで新聞に需給状態やコメントが掲載されるが「会社の秘密事項や、同業他社に足をすくわれるようなこと、会社や自分に不利なことをしゃべるはずがないよ。しかし、私のコメントが評判がいいのは、もう近々にも表面化するようなことを少しだけ付け加えるからだ」と言っている。つまり、早い話が無価値・・・さらに世間を欺く謀略に近い。信用したらどうなるか。
これくらいで十分であろう。
・パソコンで簡単情報入手
などと宣伝されているが、
・一方に有利な情報は必ずもう一方に不利
・ヨコ社会(競争社会)においては中立な情報は存在しない
わけで、そう言うと、「じゃあ、統計、たとえば理科年表(天文や気象、物理、化学などの記録。たとえば各地の平均気温や惑星や彗星の動きを掲載した「四季報」より少し小ぶりの本。手許にあるのは国立天文台編、1034ページ、1,100円。占星術をやる人はみんな持っている。だからといって占星術が科学ということではない)はどうなんだ」と聞くから「理化年表は競争社会と無関係」と答えると、次に「新聞はどうなんだ」とくる。「新聞でも、マネー・ゲームや経済・人生競争に関するものは統計でも同じである」と当然すぎるほど当然な返事をする。
健全な批判を
必勝法、指数、指標などで利益をあげた人が皆無なことは実証ずみなのに、あいかわらずそれらの信奉者や情報を求める投資家が後を絶たないのは、欲なのか、夢をみているのか、破産して目がさめたのでは時すでに遅いのである。
「ではインチキ情報と真実の情報とを見分ける力をつければよいではないか」という正攻法になるが、これがなかなか大変なことなのである。
相場師に弟子入りすると、理屈よりまず波のりの基本のやりかたを教わることになるが、その1年~2年の間、新聞を読むのを禁止される。
1年か2年たって、新聞を読みはじめると少しではあるが自分が記事を批判しなが読んでいるのに気がつく。もちろんそれでよいのではなく、まだ始まりなのである。
賢明な読者の皆さん。自分が取材を受けたとき、あるいは情報の発信者の立場になったときのことを考えていただきたい。自分に不利なことをしゃべるだろうか。不利なことを発信するだろうか。
熾烈なカネ取り競争である。が、「俺はだまされないぞ」とこわい顔をして身構える必要なんか無い。ただ聞かなければよい。「うねり取り入門」(林輝太郎著)より
最後にもう一度くりかえす。情報の公理である。
中立な情報は存在しない
情報は発信者に有利
書評
この本自体は、20年以上前に発刊された本であり、内容についてもチャートを見てトレードをする投資手法について説明したものです。理論的な真偽を別にして、とあるきっかけで一度本を読んでみようと思いました。
投資の世界においては「情報の価値」は非常に大きいものです。
ある銘柄の情報を公開される前に事前に知っていれば、当然ながらそれを元にトレードを行い、利益をあげることができます。
ファイナンス理論では、投資結果に影響を与える「公開情報」については、瞬時に市場に吸収されるので、これを用いて利益を上げていくことはできない、というのが通説であったと思います(効率的市場仮説)。逆に「公開されていない情報」を用いることによってリターンを獲得することはできますが、これは場合によっては「インサイダー取引」の処罰の対象となってしまいます。
情報を受信する側の私たちは、前述のとおり常に不利な立場に置かれているということを肝に銘じ、発信者側の意図やポジショニングを想像しながら、しっかりと情報の取捨選択を行っていくことが、投資の世界で生き残っていくためには必要だと改めて感じた次第です。
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